東日本大震災から7年・茨城に来てから7年が経ちました




2011年2月末、ぼくは仕事で縁もゆかりもない茨城県に引っ越して来ました。

3月1日から仕事開始に合わせ、大学院の卒業を3月15日に控えながらも仕事を開始しました。

就職時

シロクマくん
茨城?いばらきってどこ?

な状態での仕事スタート。

右も左もわからないまま、雇われ院長の生活が始まりました。

生活は仕事と家の行き来のみ

茨城には知り合いも友達もいなかったので、生活は仕事と家・スーパーの行き来のみ。

しかも、職場と家は激近で車で5分くらい。距離にして約3キロ。スーパーも近くにあったので、めちゃくちゃ引きこもりでした。

仕事は雇われ院長でさらに職員はぼく1人。
なので気楽なもんで、自分のやりたいようにやらせてもらえたので、すぐに仕事には慣れました。
会計とか事務作業もそれほど難しくなかったですしね。

ただ、基本仕事は1人でやり、家に帰っても1人。
患者さんと話さない限りほとんど誰かと話すことのない生活でした。

仕事は残業もないし、きっちり終わっていたので帰宅後は自炊してゆっくりアニメ見る。ってオタクな生活してました。

シロクマくん
茨城の生活にもそのうち慣れるっしょ。

って思っていた矢先に震災にあいました。

3/11東日本大震災

その日は金曜日。14時からの患者さんの治療中、ちょうど鍼を抜いたところで地震がきました。

患者さんと「少し大きいですね〜」

なんて話していたのですが、どんどん大きくなる地震にぼくも驚き、患者さんと

「これはすごい・・・」

けど、動けない・・・。

 

少し収まってから、すぐに病院の外へ患者さんと避難。

そのあとも、大きい余震が続き、
「さすがに治療どころではない」と、病院・治療院も休診する方向へ。

来院していた患者さんには後日治療することを伝え、病院側の患者さんは薬の処方はさせてもらう形で対応。

地震後も来院される患者さんが少しいたので対応しながら、その日の業務は終わりました。

 

 

病院にいた時には気付かなかったのですが、茨城県全域で停電・断水が起きていました。
病院には災害に備えたバックアップがあって、電気も水もガスも全部使えたので全く気が付きませんでした。

仕事が終わって家に帰ったはいいものの、電気も何もないのでやることがない。
家にいても暇なので、電気がある病院に戻ってテレビの震災情報をみながら、寝る頃に家に帰りました。

当時ぼくが住んでいた茨城のつくば市は、その日のうちに電気は復旧。
家に帰ると電気がついていました。

食料がない。

震災から1日経った土曜日。
病院・治療院は診療日だったので、普通に仕事でした。

余震に気をつけながらの治療はあまり良くないなぁと思いながらも、治療は無事終わり帰宅。

軽く食事をとって、明日は買い物に行かなきゃな〜と思って寝ました。

次の日の日曜日。
断水のため、水もないし、食料もないので、スーパーに買い出しに行きました。

マジでなんもなかったです。

コンビニにも行きましたが、こんな感じ。

もう、完璧に乗り遅れました。

さすがに水分は摂らなきゃやばいので、いろいろ探すもなく・・・。
人が寄り付かないような自動販売機を見つけ、やっと水分だけはゲットしました。

食材は買えなかったものの、少しして断水は解除になったので、家で米だけ食べて生活してました。
ほどなくして、食材も手に入るようになり、生活自体は1週間も経たないうちにできるようになりました。

 

茨城は他の地域に比べて圧倒的に被害は少なかったものの、知り合い・友人もいない自分にとっては、めちゃくちゃ寂しく・不安な日々だったのを覚えています。

茨城にきて7年になりました

茨城に来て10数日で震災にあい、
「なんてところにきてしまったんだ!!」と最初は実家に帰りたくて仕方がなかったです。

そこから、
友人を作るために社会人バスケをやったり、
嫁と出会って・結婚して・子供ができて、
仕事では自分の治療院をオープンすることになったりと、

ひとりで始まった茨城での生活も徐々に友達・知り合いが増えていきました。

7年でいろいろありましたが、

まさか茨城にずっと住むことになるとは思ってもいなかった!

ので人生なにがあるかわからないですね。

昨年からはじめたブログ。治療院とともに長く続けられるように頑張ります。
これからもよろしくお願いします。

ではっ!!